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- KAPPA - 河童 / かっぱ / カッパ - Names -
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- The three most famous Kappa Regions in Japan -
日本三大河童地帯
. - Tanushimaru 田主丸 in Fukuoka 福岡 - .
. - Ushiku 牛久 in Ibaraki 茨城 -.
. Tono 遠野 in Iwate 岩手 .
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- quote
俗に云わる、日本三大河童地帯というものがある。福岡・茨城遠野と、どうもなっているようだ。まあそれ以上に、河童の話の多い地域はあると思うし、また岩手県内でもあちこちに河童の話はある。
ただ三大河童地帯と呼ばれる地域のの共通性が、なんとなく見えてきたような気がする。。。。
実は河童の話の中で、河童が腕を斬られ、その腕を取り返したい為に詫び証文を書くという話は、簡単に切り取れる腕を持つ存在の河童は、傀儡人形と結び付いてのもの、という説がある。その傀儡人形を広めたのが、海人族である安曇族のようだ。
海 人族の信仰の普及の一つに、九州福岡の安曇磯良を祭神として祀っている志賀海神社を根拠地とし、安曇や厚美などの名を頂いて、全国の海辺伝い、もしくは山 奥まで広まっているようだ。これには傀儡舞などの芸能が核となり八幡信仰と結び付いて、西日本に広がり、摂津西宮神社に隷属して、第二の拠点となったと。 つまり仮説だが、河童伝承の残る地域には、海人族である安曇族の流れが
定着したものではないか?
茨城は古代、常陸の国であり、蝦夷の国の入り口でもあった。三大河童地帯が、九州の福岡から西日本を飛んで、蝦夷の国である常陸と遠野に定着したと考えると、かなり面白い流れとなると思う。
肥 前の国の武田番匠の使いとも、名匠左甚五郎の使いとも伝えられる大工が、人手が足りないので藁人形や、おが屑の人形を作って命を与えて手伝わせ、無事に仕 事を完成させる事ができた。仕事を終えた後、不必要となった人形は河原に棄てたのだが、いつしかその人形達は人を襲い、人の尻こ玉を抜いて食べるように なったなどの伝承が伝わる。
ここで"尻こ玉"の話が出てくるが、未だに"尻こ玉"とはわかっていないようだ。ただ、水死体を見ると、尻から腸が脱肛している事からの連想ではないか?とされているようだ。。。。
上記の似たような人形の話には、安倍清明の話もある。
清 明が人形を作って占術を施し、用済みとなった人形を、一条大橋の河原に棄てたところ、その人形が人間と交わって子供を産んだと。また一説には、飛騨の大工 と武田の番匠が内裏を造営した時に人形を作って働かせていたというが、その人形が官女と交わり子を産んだ。内裏の造営が終って、河原にその人形を棄てたと ころ、牛馬の皮を剥ぎ、それを専業とするようになった。彼ら人形のあばら骨は一枚であり、膝の骨は無い。非人というのはこれである…という話もまたある。
「えた」「ひにん」という階級が以前はあった。ここでの人形の話も「えた」「ひにん」の発生の話となりそうではあるが、その前に「人の 代りに…。」という傀儡人形の存在、もしくは概念があったのかもしれない。ところで「えた・ひにん」の話が出てしまったが、この「えた・ひにん」もまた、 一つの河童の流れでもあると思う。
例えば、利根川の治水工事には、河原に住み着く乞食達が強制労働させられ、それがそのまま河童と呼ば れたのだという話がある。それより遡る事天平年間、一気の仏教文化の導入が日本国に施された。その為、全国から多くの人々が寺院建設などの都市造りに強制 的に参加させられた歴史がある。
その多くの強制労働者たちは、工事が終ると共に、何の恩恵も受けずに故郷へ追い返されたのだという。そして故郷へ の帰路、行き倒れや餓死者も多く出たのだという。生き残ったものも、故郷へ帰るのを断念し、浮浪者として、そのまま都市に残ったり、途中の村々に住み着く ようになったのだと。
その浮浪者達が、当時の朝廷には厄介となり、陸奥の伊治村に、捕らえられた浮浪者2500人を送ったという記録が 残っている。しかし保守的な村では、余所者は禍をもたらす存在として扱われた。その浮浪者達は、生きる為に水辺の近辺に住み付いたのも、また河童の原像だ とも云われる。陸奥の伊治村は、現在の宮城県にあり、奈良時代は朝廷と蝦夷の丁度中間点だった。その伊治村の近隣には、806年に坂上田村麻呂の勧請した という、河童を祀ってある磯良神社がある。
ところで、話を傀儡師に戻す。傀儡子は、定まった所も家も無い流浪の民である。
「傀儡子記」
「男はみな弓矢を使い、猟銃をもって仕事とし、或いは両刃の剣を7・ 9本
同時に弄ぶ。また、桃の木で作った人形を舞わせ、相撲をとらせ るが、ま
るで生きた人を動かすようである。殆ど魚が竜になったり、 竜蛇や熊、虎
になったりする変幻の戯術である。更に、砂や石を金銭 に変え、草や木を
鳥獣に化し、よく人の目を誑かす幻術も行う。」
「女は愁い顔で泣く真似をし、腰を振って歩き、虫歯が痛いような 笑いを装
い、歌をうたい、淫らな音楽をもって、妖媚を求める。 父母や夫や聟は、彼
女らがしばしば行きずりの旅人と、一夜の契 りを結んでも、それを構わない。
身を売って富んでいるので、金 繍の服・錦の衣・金の簪・鈿の箱を持ってい
るから、これらのものを贈られても、異にせず収める。」
傀儡子ではあるが、女は傀儡女とも呼ばれ、どちらかというと遊女という扱いを受けているが、遊女と傀儡女の違いは歌にあるようだ。遊女の条件は美声で美女であるのだが、傀儡女の場合は、歌が上手で美声である事のようだ。「更級日記」では傀儡女の歌を称して…。
「声すべる似るものなく、空に澄み昇りて、めでたく歌をうたふ。」
また…。
「声さへ似るものなく歌ひて、さばかり怖ろしげなる山中に立ちゆくを、
人々あかず思ひて皆泣くを、幼きここちには、まして此のやどりを立
たむ事さへ飽かずおぼゆ。」とある。
この「更級日記」の記述から読み取ればつまり、本来の傀儡女とは、歌女なのだろう。それも、西洋の船人を惑わすセイレーン、もしくはローレライのような歌の力を持った存在に等しかったのかと想像する。
熊 野は、朝廷からの支援を受けられぬ時、財政難に陥ったのだという。その時の熊野を支えたのは、歩き巫女であったという。熊野の信仰を広めると共に、お札を 含めて売り歩き、信仰の普及と財政難の一挙両得としたと。この歩き巫女が、遠野にも赴いてオシラサマなどの信仰を伝えたともいう。
巫女 には、神社に属していた定住の巫女と、歩き巫女という漂白の巫女がいた。その歩き巫女の代表格は、熊野三山の巫女であったのは有名な話だ。ただ遊女と同じ く、歩き巫女もまた体を売ったと伝えられる。しかし、日常の夫婦間の性行為と違って、不特定の人との性行為は、非日常の「ハレ」だという概念があるよう だ。つまり、歩き巫女との性行為とは「神婚」であり「聖婚」であったのだと。
笑い話に、女性の女陰に向って手を合わせ「菩薩様」と拝むのと、同じ感覚である。実際、浄土宗の親鸞は、夢の中で救世観音(救世菩薩)の化身と交わる内容を許す夢を見たとされる。つまりこの「聖婚」「神婚」の具現化は、神に仕える巫女との交わりであったのだと思われる。
確かに「性」は「生」であり「聖」なるものであり「せい」という音には、全てが含まれているのだろう。その現世ご利益である「聖婚」を体験できる巫女との交わりは、男どもが殺到したものと推測される。
About Tono in Iwate
菊池照雄著「山深き遠野の里の物語せよ」に岩手県の花巻市で伝わる「傀儡坂物語」が紹介されている。これを簡単に紹介してみよう…。
大昔、亀ヶ森の蓮花田村の長が、川に登ってくる鮭が思いのほか大漁で、
その鮭を運ぶ人手が足りなくて困っていた。その時、一人の傀儡女が長い
旅を続けたのかボロボロの格好をして足取りも重く、村長の方に歩いてきた
のだと。その道は、早池峰に続く道であったが、村長はこの鮭を運ぶのを手
伝わないと、この道は通さないと言った。
そして無理やり、その傀儡女に鮭を背負わせ、何度も手荒く運ばせたところ、
無理がたたり傀儡女は倒れてしまったという。
「罪の無い私を、こんな目にあわせたからには山河の形が変わり、 この川
の流れが別の場所に変わるまで、この川上には決して鮭を登らせないから。」
と言い残し、傀儡女は息絶えたのだと。それからこの川には鮭が登る事無く、
そして傀儡女が倒れた場所を傀儡坂と呼ぶようになった。
現在は、傀儡坂とは呼ばずに、葛坂となっている。また村長のいる亀ヶ森蓮花田村というのは、やはり三女神が宿った場所が亀ヶ森で、蓮花田というのは三山に分かれる占いをした蓮池のある地の事をいう。この「傀儡坂物語」を菊池照雄は、こう解説している…。
「たぶん、早池峰山麓は、早池峰大権現の聖域の境界までが、彼女らの
支配の及ぶ地で、この傀儡坂が両者の境であったと思われる。傀儡坂
の悲劇は、この早池峰大権現との誓約を破り、この境の坂を通り抜け
たためにおきたのだろう。」
この菊池照雄の考えは、間違っていると断言できる。傀儡女が誓約を破って息絶えたという話よりも、何故に鮭が遡上してこなくなったのかという方向を見据えて考えなければならなかったのだろう。
現代では、あちこちにダムが建設されて、鮭は遡上してこなくなったのだが、昔は鮭が遡上し、山間部の貴重な蛋白源となっていた。それでは何故、鮭は遡上してこなくなったのだろう?これは単純に言い換えれば、傀儡女の祟りとなる。しかし、単なる祟りではなく、早池峰の神が絡んでいる祟りと考えなければなかった。
傀儡女が東北にまで足を伸ばし、またオシラサマの起源に関わっているものと一般的には認識されている。また傀儡女は河原に住む事が多かったと云われるが、これは水辺での祭祀を行っていたと、やはり認識されているが、その祭祀は果たしてどういうものだったのか?までは謎となっている。
ただ「傀儡坂物語」で言えるのは、傀儡女は早池峰を目指して来たという事だろう。菊池照雄は傀儡女が境界侵犯をしたものだと考えていたのだが、実は体をボロボロまでにして早池峰を目指した傀儡女には、早池峰に対しての想いからの旅であったと推察される。
そこには確かに、傀儡女と早池峰の神との誓約があったのだろう。ただそれは、菊池照雄の言うところの誓約ではなく、早池峰の神と取り交わした傀儡女との純粋な誓約であったものと考える。何故なら、早池峰の神とは水神である瀬織津姫だからだ。
川辺て寝泊りしながら祭祀を行ってきた傀儡女とは、早池峰の神である瀬織津姫との誓約を守り、水辺での祭祀を繰り返しながら、旅をしてきたものだと考える。それは先に記した、傀儡女の発生が海人族である安曇からのものであるからだろう。その想いがあるからこそ、体がボロボロになってまで早池峰の麓まで旅をしてきたのだろう。
だから、早池峰の神である瀬織津姫と祭祀を通して繋がっていた傀儡女を村長が殺した為に、早池峰の神が怒って、鮭を遡上させなくなってしまったと考える方が、普通であると思う。菊池照雄の考察は、傀儡女の発生と瀬織津姫との繋がりを理解していなかった為からの考察となっている。
about shrines related to the salmon
鮭を祀る神社で一番古いのが、福岡県の鮭神社となる。祭神は、彦火々出見尊鸕鷀草葺不合尊 豊玉姫尊。
古文書によれば、祭礼の日に社殿まで鮭が遡上してくるのだが、これは豊玉姫尊が御子である鸕鷀草葺不合尊の元へ遣わされるものであり、これを途中で殺すと”災い” があるとされる。ある時代、鮭はエビス信仰とも結び付いたのだが、鮭を含む魚類全般は”鱗族”として龍蛇神とも重ねられたようだ。
また、この福岡の鮭神社では、この地域で牛の病気が流行った時に、万年願として傀儡人形が奉納されたという。そこには穢祓の意識が働いてのものだったらしい。これを「傀儡坂物語」に当て嵌めて考えてみると、海神との繋がりを持つ傀儡女と、早池峰山へと遡上する鮭を途中で殺した為に、海神の怒りに触れて鮭は遡上しなくなった。つまりここでいう傀儡女とは鮭の掛詞でもあり、共通するのは、海神の使いという事であり、早池峰大神である瀬織津姫は海神との繋がりが深いのであるという裏付けにもなる。
- source : dostoev.exblog.jp
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